忘れじの8mmFILMよ!


カタログ写真ギャラリー
 

Z800の詳細は上の画像をクリックしてください。

 

 

 

 

 

現存するカタログから掲載しました。
随時写真は入れ替えます

○かなり8mmカメラ後期のカタログで、型番に『X』が入っているのは当時の宣伝コピーで言うと『闇夜のカラス』。シャッター開角度が230度あった”XLカメラ”で、従来のカメラより少ない光量で撮影できた。(しかし「闇夜のカラス」は見えにくいという意味なのだが…?)
○一番下の映写機のカタログですが、その下に「フジ-カセットテープ」の宣伝があります。
 ということは、これはカセットテープを使用するトーキーが存在したことを表しています。単にカセットを別録音してスタートする方法が簡易トーキーですが、MXシリーズには完全な同期システムである『パルスシンクシステム』の映写機も存在しました。パルスシンクはカセットに記録されている同期信号を読み取ってかってに映写機が作動するというまことに面白いシステムでした。実際、急に映写機が動き出すのでなかなかびっくりします。


『小型映画』の頃〜1982年の休刊まで26年間、8mmの水先案内を務めた専門誌〜

  

  上の写真が「小型映画」最終巻、1982年10月号(通巻363号)である。
1956年の創刊以来、全国の8mm映画マニアの専門誌として親しまれた。
発行の玄光社は、現在はビデオの専門誌などを発行しており、ビデオマニアの必須書籍を
数多く出版している。
 当時も今も、小型映画(今はビデオ)のユーザーは圧倒的にホームムービーを主体とした
人々であり、その需要はフォーマットの形は変われど、なくなることはないからだ。

 しかし我々自身もそうであるが、8mm映画を使用して「映像作品」を創っている人間も
何らかの形でこの『小型映画』を愛読していた。
 だいたい技術的な情報を得るのが目的であったが、毎回掲載される読者=マニアの製作
した作品の紹介も楽しみであった。
 ドキュメンタリーから劇映画、イメージ・フィルムと呼ばれるわけの分からん観念映画、そして
我々と同好の人間が作ったSF映画など、『小型映画』の扱う作品のジャンルは多種にわたり、
現在の目で見ても、おもわずニヤリとくるものもある。
  このセクションでは、そんな時代の空気をほんの少しでも味わってもらいたいな、と考えています。
アフレコテクニック

 

 なんだか、複雑に配置された機材が山となり、そこで黙々と作業を続ける女性。
これは『小型映画』最終巻に掲載された特集「8mm映画テクニック集大成」の中からのひとコマ。
 今はビデオ編集機(ノンリニア)を使ったアフレコで完全な音声トラックを作ることができるが、
そんなもののなかった当時は、基本的にフィルムのサウンドトラック(マグネ塗布帯)に直接ダビングしていくしか方法がなかった。
 この特集ではいろんなパターンでの音声ダビングの方法を紹介している。これは当時のマニアは
もとより、現在の8mm製作者にも役に立つはずだ。

*写真:複数のカセットレコーダー、サウンド・エディター、ライトボックスに2トラックスプライサー。
アフレコ用のマイクまで用意している。これだけの規模でやっていたヒトは当時でもなかなかないはずである。
仏陀電影も、最初は手作りのサウンドミキサーとカセット・デッキと普及機の2トラ映写機 だけだった。
8mmの息の根を止めたもの

 ここに、「小型映画」最終巻に掲載されていた資料があります。国内における、昭和56年から昭和57年6月までの8mmカメラの出荷台数の比較です。
 昭和56年の総出荷数は約4万9千台、これはピークの昭和50年の32万台に比べれば約6分の一の数字であり、国産初のカラー8mmフィルムの発売された昭和32年当時の数字と奇しくもほぼ同じです。
 これだけでも凋落ぶりが分かるというものですが、まだまだ現実はこんなに甘いものではなく、翌年の昭和57年になると6月までの半期で出荷台数約2400台!
 前年比8.1%!。これでは製造コストや利益率といった問題ではなく、市場が忽然と消滅したようなものですから、当然生産販売が継続できるわけがありませんでした。
ハードウェアが供給されない分野に新たな需要が生まれるわけもなく、8mmは衰退の一途を辿っていったのです。
 では、なぜ突然8mmが売れなくなったのか?
それはこの年にビデオカメラ一式が3キログラム程度の重さにまでコンパクト化されたことが大きくかかわっています。
 皮肉にも8mmカメラの出荷台数がピークとなった昭和50年に、「βマックス」が発売され、翌年に「VHS」が発売。
ビデオムービーカメラもどんどん改良されていきました。
 そして、多くの8mmユーザーにとっては、ランニングコストの安さに加えてテレビ画面で見ることができるビデオカメラが、より便利なものであったことがビデオの普及の大きな要因であったのです。
 昭和57年半期のポータブルビデオの出荷台数は約18万3千台。圧倒的な数字です。
「小型映画」最終巻にも、CANONのビデオカメラの広告が掲載されています。
 現在では、現像・フィルムの販売は国内では終了し、カメラの修理はすでに部品確保の点で非常に心もとない状況です。しかし、マニアックなアイテムとして海外からスーパー8フィルムを輸入して撮影している方もあるようです。
 いずれにしろ、8mm最後の日へのカウントダウンは継続しているわけですが…。

休刊のあいさつ

 



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